2008-10-30

《佛子行三十七颂》

无著菩萨 著

(顶礼文)
那莫罗给夏Ra雅!(顶礼观自在菩萨)
虽见诸法无来去,然唯精勤利众者,
胜师怙主观音前,三门恒时敬顶礼。
利乐之源诸佛陀,修持正法而成就,
亦依了知其行故,于此宣说佛子行。

(一)
已获暇满大舟时,为自他渡轮回海,
日日夜夜不懈怠,闻思修持佛子行。

(二)
贪恋亲方如沸水,嗔恨敌方如烈火,
遗忘取舍愚暗者,抛弃故乡佛子行。

(三)
离恶境故惑渐轻,无散乱故善自增,
净心于法生定解,居于静处佛子行。

(四)
长伴亲友各分离,勤积之财留后世,
识客终离身客店,舍弃今世佛子行。

(五)
交往恶人增三毒,失坏闻思修事业,
令成无有慈悲者,远离恶友佛子行。

(六)
依止正士灭罪业,功德增如上弦月,
殊胜上师较自身,更为珍爱佛子行。

(七)
己尚缚于轮回狱,世间天神能救谁?
故知殊胜无欺处,皈依三宝佛子行。

(八)
佛说难忍恶趣苦,皆为恶业之果报,
是故纵遇生命难,永不造罪佛子行。

(九)
三有乐如草尖露,乃是瞬间坏灭法,
了知恒时无变法,希求解脱佛子行。

(十)
无始时来慈我者,诸母若苦自何乐?
是故为度无边众,发菩提心佛子行。

(十一)
诸苦由求自乐生,圆满正觉利他成,
是故己乐与他苦,真实相换佛子行。

(十二)
何人以大贪欲心,夺或令夺我诸财,
自身受用三世善,回向于他佛子行。

(十三)
我虽无有些微错,何人若断吾头颅,
然以悲心将彼罪,自身代受佛子行。

(十四)
有者百般中伤吾,恶名纵遍三千界,
然我深怀慈爱心,赞其功德佛子行。

(十五)
何人大庭广众中,揭露吾过出恶语,
于彼亦作上师想,恭敬顶礼佛子行。

(十六)
吾如自子爱护者,彼纵视我如怨敌,
犹如慈母于病儿,尤为怜爱佛子行。

(十七)
与我等同或下士,虽以傲慢而凌辱,
然吾敬其如上师,恒时顶戴佛子行。

(十八)
贫穷恒常受人欺,且为重疾恶魔逼,
众生罪苦自代受,无有怯懦佛子行。

(十九)
美名远扬众人敬,亦获财如多闻子,
然见世福无实义,毫无傲慢佛子行。

(二十)
自嗔心敌若未降,降伏外敌反增强,
故以慈悲之军队,调伏自心佛子行。

(二一)
一切妙欲如盐水,愈享受之愈增贪,
令生贪恋诸事物,即刻放弃佛子行。

(二二)
一切境现唯心造,心性本来离戏边,
了达此理于二取,皆不作意佛子行。

(二三)
逢遇悦意对境时,视如夏季之彩虹,
虽显美妙然无实,断除贪执佛子行。

(二四)
诸苦如同梦子死,迷现执实诚疲惫,
是故遭遇违缘时,视为幻相佛子行。

(二五)
获得菩提身尚舍,何况一切身外物,
故不图报异熟果,慷慨布施佛子行。

(二六)
无戒自利尚不成,欲成他利诚可笑,
故于三有无希求,守护净戒佛子行。

(二七)
于求妙果之佛子,一切损害如宝藏,
故于诸众无怨恨,修持安忍佛子行。

(二八)
唯成自利小乘士,勤如扑灭燃头火,
饶益众生功德源,具足精进佛子行。

(二九)
当知止观双运理,以此摧毁诸烦恼,
真实超越四无色,修习禅定佛子行。

(三十)
若无智慧以五度,不得圆满菩提果,
故以方便三轮空,修持智慧佛子行。

(三一)
若未观察自错误,以法形相行非法,
是故恒时审自已,断除过患佛子行。

(三二)
以惑谈他菩萨过,则将毁坏自功德,
故于大乘诸士夫,不说过失佛子行。

(三三)
为求利养相互争,失坏闻思修事业,
故于亲友施主众,根除贪执佛子行。

(三四)
恶言剌伤他人心,亦失菩萨品行故,
莫说他人不悦词,杜绝粗语佛子行。

(三五)
烦恼串习难对治,执持正知正念剑,
贪等烦恼初生时,立即铲除佛子行。

(三六)
总之一切威仪中,观心处于何状态,
相续具足正知念,成办他利佛子行。

(三七)
如是勤修诸善根,为除无边众生苦,
皆以三轮清净慧,回向菩提佛子行。

(回向文)
为利欲修菩萨道,依照经续论典义,
诸圣者言而撰著,三十七颂佛子行。
因吾慧浅无修行,虽无智者所喜词,
然依诸多经论故,此佛子行定无谬。
而诸佛子广大行,如我愚者难测故,
相违不符等诸过,诸圣者前祈宽恕。
以此善愿众有情,以胜世俗菩提心,
等同不住有寂边,大悲怙主观自在。


慈诚罗珠堪布、索达吉堪布 译于2001年5月20日

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「37の菩薩の実践」

ギャルセー・トクメー・サンポ 作
ナモー、ローケーシュヴァラーヤ(南無観自在菩薩)
すぐれた師(ラマ)であり、救世者である観自在菩薩(かんじざいぼさつ)に、常に三門(身、口、意)で恭しく礼拝いたします。観自在菩薩は「一切の法は去ることも、来ることもない」とご覧になりつつ、しかも輪廻(りんね)する衆生のために一心に励んでいらっしゃるのです。一時的な幸せと究極的な幸せを生じる源であるもろもろの仏陀は、正しい法を完成することで仏陀となりえました。それは法を実践することの内容を知り、それを実際におこなったからなのです。これより菩薩の実践について述べることといたします。

1.
大きな船のような有暇具足(うかぐそく)をそなえた
有意義で得がたい生を享けた今生で
自他ともに輪廻の海から救われるために
昼夜を問わずに怠けずに聞・思・修(もん・し・しゅう)すること
それが菩薩の実践である

2.
身内に対しては愛情を水のように注ぎ
敵に対しては憎しみを炎のように燃やす
善悪の見境(みさかい)がつかない愚かさは真っ暗な闇(やみ)
故郷を捨てること
それが菩薩の実践である

3.
悪い故郷を捨て去れば煩悩(ぼんのう)はしだいに消え去っていく
怠けず励む者の功徳はおのずと増えていく
知性が澄めば教えに信が生ずる
「静謐(せいひつ)な場所」に安らぐ心
それが菩薩の実践である

4.
長い間親しくしている友と別れ、努力して得た財産を後に残し
「肉体」という宿を「心」という客が去っていく
今生を捨てること
それが菩薩の実践である

5.
交われば三毒(怒り・貪り・無知)が増大し
聞・思・修の行が疎かになり、慈悲がなくなりはじめる
そのような悪い友を捨てること
それが菩薩の実践である

6.
その人に従えば欠点が無くなって
功徳が上弦(じょうげん)の月のように満ちてくる
そのような善友(ラマ)を自分自身の身よりも大切にする
それが菩薩の実践である

7.
自らも輪廻の牢獄に捕らわれている
世俗の神にいったい誰を救う事が出来るのか
それゆえ、救いを求めても欺く事のない三宝に帰依をする
それが菩薩の実践である

8.
極めて耐え難い悪趣(あくしゅ)の苦しみは罪業(ざいごう)の結果である
と釈迦は説かれた
そのため、命を落とそうとも罪業をおこなわない
それが菩薩の実践である

9.
三界(欲界・色界・無色界)の幸せは
草葉の露のごとく瞬時に消え去るものである
いかなるときも変わらずに解脱の最高の境地を目標とする
それが菩薩の実践である

10.
無始以来より私を愛してくれた母たちが苦しみもがいているならば
自身の幸せなど何になろうか
それゆえ、限りなき衆生を救うために菩提心を生起させる
それが菩薩の実践である

11.
あらゆる苦しみは自らの幸せを追い求める事より生じ
悟りは他者のためを思うことより生ずる
それゆえ、自己の幸せと他者の苦しみをまさしく交換する
それが菩薩の実践である

12.
何者かが大きな欲望で私の財産をすべて奪おうとして
盗みに入ったとしても
身体と財産と三世の善の集積のすべてを差し出す
それが菩薩の実践である

13.
自らの過ちが認められないにもかかわらず
何者かが私を斬首刑(ざんしゅけい)に陥れたとしても
いたわりの心でその罪を自ら被る
それが菩薩の実践である

14.
ある者が私に対してさまざまな非難中傷を
三千大千世界(さんぜんだいせんせかい)に遍くふれ回ったとしても
慈しみの心で繰り返しその者の功徳を称賛する
それが菩薩の実践である

15.
大勢の者が集まる中である者が
私の過失を掘り起こし罵声を浴びせかけても
その者を善友(ラマ)と思って敬意を払う
それが菩薩の実践である

16.
わが子のように大切に育てた者が
私を敵のように見なしたとしても
病気のわが子に接する母のように
よりいっそうの愛を注ぐ
それが菩薩の実践である

17.
私と同じくらいか、それより劣る者が
慢心を起こして私を軽視したとしても
師のように尊敬し自らの頭頂に戴く
それが菩薩の実践である

18.
生活に困窮し、常に人より軽蔑され
ひどい病苦や悪霊に憑かれても
それでも一切衆生の罪業と苦しみを受けて
疲れることを知らない
それが菩薩の実践である

19.
賞賛され、大勢の者が頭を垂れ
毘沙門天(びしゃもんてん)の財宝と同じものを手にしても
世間の豊かさには本質がないと見て驕らない
それが菩薩の実践である

20.
自身の中にある怒りと言う敵を調伏しないなら
外の敵を倒しても憎しみはますます増大するばかり
それゆえ、慈悲という軍隊で自身の心を征服する
それが菩薩の実践である

21.
欲望の特性というのは塩水を飲めば飲むほど渇くのと似て
どんなに満足してもさらに貪りたくなる
欲望が起きた対象はいかなるものでもすぐに捨てる
それが菩薩の実践である

22.
いかなる現象もそれは自身の心であり
心の本性は本来 戯論より離れている
そのように理解して主客の諸相に気をとらわれてしまわない
それが菩薩の実践である

23.
意識がとらえる喜びの対象は
夏の盛りの虹の色彩のごとく
美しい現象であっても実体のないものとして執着(しゅうじゃく)を捨てる
それが菩薩の実践である

24.
さまざまな苦しみは夢の中での息子の死のごとく
錯誤を実体あるものととらえることより生じた疲れ
それゆえ、たとえ逆境に遭遇したとしても、錯誤と見なす
それが菩薩の実践である

25.
悟りを得るためにこの身さえ犠牲にする必要があるのなら
外側のものなどなおさらに
見返りや成果を期待せず布施を行ずる
それが菩薩の実践である

26.
戒律を守らずして自利(じり)の完成は無い
それでいて利他を成し遂げる願いを持っても笑われる
それゆえ、世俗の欲を放棄して戒律を遵守(じゅんしゅ)する
それが菩薩の実践である

27.
善という財を求める諸菩薩を傷つけてしまう者もまた
尊い宝も同然である
それゆえ、あらゆる者に恨みを持たず忍耐を修習(しゅじゅう)する
それが菩薩の実践である

28.
自利のみを得ようとする声聞(しょうもん)、独覚(どっかく)
頭に移った火を消そうとするように努力をするのをみるならば
すべての衆生のためになる功徳の源泉となる精進に励む
それが菩薩の実践である

29.
「止」を伴ったすぐれた「観」が
煩悩を克服するのをよく知って
四無色定(しむしきじょう)を超越した禅定(ぜんじょう)を修習する
それが菩薩の実践である

30.
智慧の無い五つの波羅密(はらみつ)だけならば
完全なる悟りを得ることはない
それゆえ、波羅密行を伴った三輪無分別智(さんりんむふんべっち)を修習する
それが菩薩の実践である

31.
自らの錯誤を自らが正さないなら
行者が非法を行うことになりかねない
それゆえ、常(つね)日頃より過ちを見抜いて捨てる
それが菩薩の実践である

32.
煩悩にかられて菩薩の方々の過失を非難するならば
結局自らを衰退させるだけ
それゆえ、大乗(の道に入った)者の過失を一切口にしない
それが菩薩の実践である

33.
富と名声にかられ、争いとなり
聞・思・修の行が疎かになる
それゆえ、親友やご支援くださる人々に対しての甘え捨てること
それが菩薩の実践である

34.
汚い言葉が他者を動揺させ
菩提行の在り方を弱める事になる
それゆえ、他者の心を害するような汚い言葉を捨てること
それが菩薩の実践である

35.
煩悩に慣れれば制することが難しくなる
正念(しょうねん)と正知(しょうち)という対治の刃(やいば)を手に取り
欲望などの煩悩が起こるやいなや刈り取ってしまう
それが菩薩の実践である

36.
要約するなら
どんな時でも何をしようとも
自らの心の在りようがどんな状態であっても
常に正念と正知を利用して利他を成し遂げようとする
それが菩薩の実践である

37.
以上のように精進して成し遂げられた諸善を
限りなき衆生の苦しみを取り除くため
三輪無分別智により悟りを得るために回向(えこう)すること
それが菩薩の実践である

*菩薩行を実践しようとする修行者を利益するため、スートラ(経。顕教の経典)とタントラ(続。密教の経典)とアビダルマ(論。経典を解明する論著)と聖者方の教えに従い、「三十七の菩薩の実践」を著わしました。私には智慧も修行の徳もなく、賢者方を喜ばせる内容を記せなかったが、多くの経典をよりどころにしているため、誤りはありません。しかし菩薩行(の真髄)は広大であり、私のような愚者には到底理解し難い故、(内容の)食い違いや(順番の)不一致などの過失があれば、諸聖者方の前で(懺悔し)寛大な許しを祈願(きがん)します。
これによって生ずる善(功徳)があるなら、全ての衆生が究極の菩提心と世俗の菩提心によって、輪廻と涅槃のどちらにも住することなく、大いなる慈悲の顕現であり衆生のよりどころである観自在菩薩と等しい境地に至るために回向します。

(藤田省吾、 ゲシェー・ソナム・ギャルツェン・ゴンタ 訳)

*注:最後の回向文の日本語訳が見つからなかった為、ソンジ・ノルブ(松吉諾布)が試訳しました。訳に誤りなどの過失があれば、ラマと三宝に懺悔し、寛大な許しを祈願します。オン・ベンザr・サド・ホン。(三宝の最も劣る弟子、ソンジ・ノルブ 2008年10月30日)

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